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自然をいかしたダムづくり
永池の堤
永池の堤
白石平野の水不足には水をためる大きな池が必要だった
永池の堤
水門
永池(ながいけ)の堤(つつみ)の水がでる水門(すいもん)のところ
永池の堤
永池(ながいけ)の堤(つつみ)の水を白石平野(しろいしへいや)
佐賀藩一の大きな三段式堤

まず、茂安(しげやす)は水をためておくのにつごうのいい場所(ばしょ)をさがしました。そして杵島山(きしまやま)の谷(今(いま)の北方町(きたがたまち)の永池(ながいけ))に上・中・下と三段(さんだん)の大きな堤(つつみ)をつくることにしました。これで133万立方(りっぽう)メートル(25メートルプールでいうと約(やく)2,700ぱいぶん)の水をためることができます。そして、ためた水を白石平野(しろいしへいや)におくるために、村の人たちといっしょに長さ2180メートルの水路(すいろ)をつくりました。この永池(ながいけ)の堤(つつみ)の水は今も白石平野(しろいしへいや)の田畑(たはた)に必要(ひつよう)な水を送(おく)りつづけています。

六角川の水はなぜ使えない?
白石平野(しろいしへいや)には六角川(ろっかくがわ)という大きな川がながれています。ところが六角川(ろっかくがわ)は有明海(ありあけかい)が満潮(まんちょう)になると海水(かいすい)が上流(じょうりゅう)まであがるため、川の水が塩分(えんぶん)をふくみ、田んぼの水としてはほとんど使(つか)えませんでした。
永池の堤
永池の堤
永池の堤の断面図
永池の堤
エピソード4 永池の堤
農地をふやす!
このころ佐賀藩(さがはん)は、たくさんの米をとるため、いまの住ノ江(すみのえ)から福富(ふくどみ)、築切(ついきり)、牛屋(うしや)あたりまで干拓(かんたく)をして新しい土地をつくっていました。茂安(しげやす)は新しくできた土地を守るため、潮(しお)を防(ふせ)ぐための堤防(ていぼう)として松土居(まつどい:今の国道(こくどう)444号)をつくりました。
永池の堤

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