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茂安の生涯
子どものころ
1560年 誕生(たんじょう)
茂安の生涯 佐賀市(さがし)鍋島町(なべしままち)増田(ますだ)に生まれる。
  子どものころはあばれんぼう!?
 
茂安の生涯 子どものころの茂安(しげやす)は新九郎(しんくろう)という名前(なまえ)で、うでっぷしが強(つよ)く、とても乱(らん)ぼう者(もの)だったといわれています。若(わか)いころからケンカばかりし、かけごとやあそびが大すきで、やがて親(しん)せきじゅうからひなんをあびるようになってしまいました。
(ちち)のあついなさけで心をあらためる
茂安の生涯 茂安(しげやす)のあまりの乱(らん)ぼうなふるまいに、とうとう親(しん)せきの人たちは父親(ちちおや)の信種(のぶたね)に、茂安(しげやす)にばつをあたえるように言いました。そこで信種(のぶたね)は「2〜3年まってほしい」とゆるしをこい、茂安(しげやす)にものごとの正しいすじみちと、武士(ぶし)としての行儀(ぎょうぎ)をおしえました。茂安(しげやす)は父(ちち)のあついなさけに感(かん)げきし、心をあらため、それからは人がかわったように、勉強(べんきょう)にはげんだといわれています。
1570年 10才
  龍造寺氏(りゅうぞうじし)につかえる。
  茂安の生涯
たたかいで活やくする
1580年 20才
茂安の生涯 鍋島氏(なべしまし:佐賀(さが)をおさめた殿様(とのさま))につかえる。
1587年 27才
  豊臣氏(とよとみし)のたたかいに加(くわ)わる。
たたかいで活(かつ)やくする
茂安の生涯 茂安(しげやす)が生まれた時代(じだい)は、「戦国時代(せんごくじだい)」といって、大名(だいみょう)どうしがりょう土(ど)を広げるためにたたかいをくりかえす時代(じだい)でした。腕(うで)っぷしがつよく、度胸(どきょう)があり、しかも頭(あたま)もよかった茂安(しげやす)は、数多(かずおお)くのたたかいで活(かつ)やくしました。そして、後には4千石(ごく)のりっぱな家老(かろう)のくらいをいただきました。
1600年 40才
  徳川氏(とくがわし)のたたかいに加(くわ)わる。
佐賀の開発につくす
1603年 43才
茂安の生涯 江戸(えど:今の東京)に幕府(ばくふ)が開(ひら)かれ、江戸(えど)の町(まち)の修理(しゅうり)や水路(すいろ)の整備(せいび)に参加(さんか)する。
1610年 50才前後(ぜんご)
  水を治(おさ)める仕事(※治水事業(ちすいじぎょう))をはじめる。
治水事業
(ちすいじぎょう)
(の)み水や田畑(たはた)につかうためのに川からうまく水を取り入れたり、洪水(こうずい)などから人々の生活を守ったりすることです。
  お城(しろ)づくりや修理(しゅうり)の仕事(しごと)をする
茂安の生涯

たたかいの世の中がおわりに近づいたころから、茂安(しげやす)はお城(しろ)の工事(こうじ)や修理(しゅうり)の仕事(しごと)をするようになりました。また、江戸(えど)に幕府(ばくふ)が開(ひら)かれると、江戸(えど)の町の修理(しゅうり)や水路(すいろ)の整備(せいび)にも参加(さんか)し、治水(ちすい)に役立(やくだ)つことをたくさん学(まな)びました。

  村人(むらびと)をおもいやるやさしいこころ
 
茂安の生涯 茂安(しげやす)は工事(こうじ)がはじまると、現場(げんば)に小屋(こや)をつくって寝(ね)とまりし、働(はたら)く人たちにお茶(ちゃ)を用意(ようい)するなど、みんなといっしょになって働(はたら)きました。また、仕事(しごと)のすすみぐあいをみてまわるときには、一生(いっしょう)けんめい働(はたら)いている人に、おかしなどをあたえました。
  農民(のうみん)を大切(たいせつ)にしてむりはさせない
 
茂安の生涯

工事(こうじ)はそこに住(す)んでいる村(むら)の人たちがしました。そこで、田んぼ仕事(しごと)がいそがしいときにはむりをさせず、ゆっくりとていねいに仕事(しごと)をすすめました。茂安(しげやす)はだれからも好(す)かれ、いまでもその人がらをしのぶように、茂安(しげやす)の名前(なまえ)にゆらいする町の名前(なまえ)が残っています。

  • 三養基郡(みやきぐん)の北茂安(きたしげやすちょう)
  • 茂安(みなみしげやすむら)(今の三根町(みねちょう)
  • 佐賀市(さがし)兵庫(ひょうごまち)など
1634年 74才前後(ぜんご)
  佐賀郡(さがぐん)大和町(やまとちょう)尼寺(にいじ)で亡(な)くなる
 
築山公園 築山(つきやま)公園
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